おすすめの本

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☆おすすめの本☆ 日本大学のあゆみ  日本大学広報部大学史編纂課 
 推薦者:宇於﨑勝也(建築学科)

 本書は全3巻からなりますが、ブックレット形式で総ページ数は300ページ程度とそれほどボリュームはありません。また、市販はされていませんが、日本大学の学生ならば学部分館図書館で閲覧することができます。酒井健夫日本大学学長が「学長ブログ19号」で紹介され、酒井学長は『皆さん、読みましたか』と呼びかけていますが、見たこともなかったというのが本音でしょう。今から12年も前に発行された資料ですが、それほど周知はされていなかったと思いますし、教職員でも知らない方のほうが多いのではないでしょうか。
 さて、ここでは酒井学長の呼びかけに応えて、皆さんが興味を持って読みたくなるよう、本書の概要を紹介します。
 第一巻は日本大学の前身である「日本法律学校」が、大日本帝国憲法公布と同じ年、明治22(1889)年10月4日に設立認可される背景から始まります。明治政府が日本を近代化するために早急に法制度の整備が必要であった状況や、官立学校(国立大学)や私立の法律学校が誕生したことが紹介されています。そのひとつとして皇典講究所所長の山田顕義が国法教育を行う日本法律学校と、国文・国史研究を行う國學院を創立しました。日本大学の学祖山田顕義と創立に関わった11名の若手法学者も紹介されています。
 明治23(1890)年10月6日に日本法律学校の正科の講義が開始されました。夜学の専門学校で、午後4時から午後9時までが開講時間でした。順風満帆で出発した日本法律学校でしたが、明治25(1892)年11月に山田が49歳で急死すると、学校経営に大きな支障が出ることになり、廃校の危機となります。ここで立ち上がったのが第1回卒業生たちです。どのように再興を果たしかたは本書をお読みください。
 明治36(1903)年3月専門学校令が公布されたことで、専門学校が法的根拠にもとづく正式な高等教育機関となり、各校が「大学部」を開設して大学組織への移行を進め、日本法律学校も明治36年8月19日に「日本大学」に改称しました。また、学生の制服と徽章も制定され、徽章は今日でも使用されています。
 大正7(1917)年12月に「大学令」が公布され、公立・私立大学、単科大学も法的に正規の「大学」の地位を獲得しました。大正8(1919)年4月に施行された大学令を受けて、大正9年(1920)年4月15日、日本大学をはじめとする8校が文部省から設立認可を受けました。法文学部は法律科、政治科、宗教科、社会科が、商学部には商科が開設され、さらに昼間部が設置されました。また、大正9年には、専門学校令に準拠する専門部と、大学令に準拠する大学部とは別に、実務者養成学校として高等工学校が新設されました。これが理工学部の前身である「日本大学高等工学科」です。
 大正12(1923)年9月1日の関東大震災では、三崎町校舎、駿河台の歯科・高等工学校の校舎、本所横網町に建設中の付属中学校校舎がすべて焼失しましたが、9月3日には10月1日の授業再開を目指して復興委員会が組織され、在校生の協力も得て授業を再開させました。施設の再建に関しては校債を発行し、在学生と父兄、校友などが「愛校校債」と名付けて協力しました。昭和3(1928)年、工学部(現・理工学部)が設置されますが、私立大学としては早稲田大学理工学部に次いで2番目の工学系学部で、土木工学科、建築学科、機械工学科、電気工学科の4学科が開設され、土木工学科は私立大学としては初めての設置でした。
 第二巻は、昭和12(1937)年7月7日の「蘆溝橋事件」から日中戦争が始まりますが、そこから太平洋戦争につながる戦時体制下の学生生活の紹介から始まります。日本大学の学生も学徒出陣していきますが、その様子が描かれています。
 昭和20(1945)年8月15日に終戦を迎えると、連合国軍により日本は占領され、米国教育使節団による報告書にもとづき強力に教育改革が推し進められ、昭和22(1947)年3月に「教育基本法」が制定されました。日本大学でも戦時中に廃止や学生募集が停止されていた文系の専門部が昭和22(1947)年2月に学生募集を再開し、新たな学部学科の設置も行われていきます。
 高度経済成長期には会頭古田重二良が中心となって、日本大学を「世界的総合大学」の水準に発展させるべく、改革・改善に努めていますが、一方、学生気質の変化や70年安保をひかえた学生運動の影響により、日大紛争が起こる要因をはらみ始めていました。昭和30年代から40年代初めにかけて、今日の規模につながる学部学科の大増設が行われています。工学部にも物理学科が新設されて理工学部となり、合わせて経費の面で私立大学では不可能と言われていた原子核・素粒子・科学史からなる「核融合研究室」が設置されました。
 そのような中、「20億円使途不明金」問題などが発覚し、教職員組合や学生連合会(学連)から理事総退陣の声が上がります。しかし、理事会は現理事による体制による対応を発表したことから、それに反発した学生たちは各学部で集会を開催し、それが集合する形で昭和43(1968)年5月27日、日本大学全学共闘会議(全共闘)が結成され、大衆団交を求めました。大学側は全共闘を認めず、さまざまな衝突があって日大紛争に突入します。この顛末も詳細は本書を確認してください。
 第三巻は、高度経済成長期が終焉して、急増する大学進学者の受け皿に私立大学がなる一方で、施設・設備の充実・整備費や人件費や物価の上昇から財政危機をむかえ、私学助成制度が設けられた昭和50年前後から始まります。理工学部では昭和53(1978)年に海洋建築工学科、航空宇宙工学科、電子工学科が増設されています。さらに昭和50年代中ごろから60年代にかけて、世界的に国際化・情報化時代を迎え、海外の大学と協定を結ぶようになります。平成元(1989)年10月4日には、日本大学創立百周年記念式典が高輪プリンスホテルで挙行されています。
 さらに、独立した章を設けて、通信教育学部の歴史、日本大学の体育・スポーツ部門での活躍の歴史、日本大学の文化活動の歴史が紹介されています。また、日本大学の教員や卒業生の中で世界で活躍された先達4名が紹介されています。
 日本大学がどのように発展してきたのか、そのあゆみをダイジェストで知るうえで格好の図書です。社会の要請を受けて変化をとげてきた日本大学、不祥事もありましたが、それを乗り越え、再生するためにも日本大学のあゆみをぜひ理解しておきましょう。お勧めの1冊です。

 

図書館ではこの図書を所蔵

1巻
駿:377.1 ||N1||1   船:377.1||N1||1
2巻
駿:377.1 ||N1||2   船:377.1||N1||2
3巻
駿:377.1 ||N1||3   船:377.1||N1||3

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