図書館だより

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第33回日本大学理工学部図書館公開講座の講演概要

平成30年6月26日(火)18時より1号館6階CSTホールにおいて,第33回日本大学理工学部図書館公開講座が開催された。今回は日本大学名誉教授の伊澤岬先生による「京都・奈良の世界遺産 -凸凹地形模型で読む建築と庭園-」を語るを演題に,254名の聴衆に向けて質疑応答を含めた2時間にわたる熱心な講演がなされた。

○伊澤先生講演概要
恩師小林美夫先生のもとで設計の修業を続けていたころ,丘陵地に東京薬科大学の設計を行うにあたって100校ほどの現地調査を行った。その成果をもとに学位論文を仕上げたが,まさに凸凹地形の中に大学施設やグランドを配置するための方法を導き出すものとなった。当時も清水寺の敷地利用と関連を直観的に思ったが,大学人として教育と設計に注力し,定年を機に当時を思い起こして本書の執筆につながった。
海洋建築工学科所属のころには「海上都市構想」をまとめ,社会交通工学科への異動は請願駅であった船橋日大前駅の設計と土木系の学科に日本で初めてデザイン教育を立ち上げるという2つの大きな目的があった。その延長で大江戸線のコンペティションで二つの駅の設計に関わり,設計者として駅設置プレートに名前が記されている。
本日は大きく3点を話したい。ひとつ目は「地形の読み方」として,京都の寺社の境内を5つのカテゴリーによる凸凹地形の鑑賞法。二つ目は「地形の活かし方」で2つのキャンパスデザインの取組みとユニバーサルデザインへのつなげ方。バリアフリー法の制定により,誰もが平等にアクセスできることが非常に重要となっており,地形のバリア対応を考えてみたい。三つ目は「地形の直し方」として,3.11以降の復興支援として社会システムの変革を目指した3本柱,①復興計画の提案,②再生エネルギーの活用,③交通格差の是正をいかに実現するかの提案をお話しする。
京都の地形を見ると,三方を山に囲まれた南に開けた盆地になっている。さらに東側に山科盆地があり,二つの凹地形に挟まれた凸地形であることが分かる。京都盆地に条坊制を適用し,地相を読んで四神相応の考え方も導入した風水による「住み心地のよい地形」が平安京として形成されたことが分かる。鎌倉も同じような形態を持っているが盆地の面積が狭く発展が滞った。
京都は北から一条,二条と東西の通りが走っているが,一条は双ヶ岡と吉田山を結んだ東西線上に置かれた。また,南北は船岡山から軸線を通して三山が都市設計のランドマークとなっている。奈良と比較すると,奈良盆地の平城京は四方を山に囲まれた究極の凹地形であることがわかる。藤原京は日本で最初に条坊制を取り入れた都市であるが,三つの山をランドマークとしているものの南に山が迫っており,あまり居心地のよい都市とはいえず,それで短命に終わったともいえよう。
大阪では凸地形の中に難波宮や四天王寺などの歴史的に重要な施設が集中していることが分かり,東京でも甲州街道の突端に江戸城(皇居)があり,取り囲むように七つの台地として凸地形が見られる。凸凹に着目すると都市や国土も同じような特徴を読み取ることができ,境内でも同じことが言えるならば,設計にも活かせると考えられる。
京都の境内の建築・庭園を地形単位によって読む方法として,5つのカテゴリーを示したい。それは,①清水寺のような凸凹地形,②伏見稲荷大社のような奥山に異空間を持つもの,③金閣寺,銀閣寺,西芳寺のようなテラス式庭園,④仁和寺、宇治上神社のようなテラス式伽藍、建物,⑤上賀茂神社,下鴨神社のような川の境内である。まず,①清水寺の境内は本堂のある第一の凸に建物のほとんどが集約され,子安塔の第二の凸との間に音羽の滝を形成する象徴的な凹地形が見られる。②伏見稲荷大社では,千本鳥居の奥の稲荷山全体が聖地を形成していることが分かる。清少納言をして「うらやましげなるもの」と語らせた,原始宗教の気配が凸凹地形によって残る奥深い山になっている。③夢窓国師は全国の聖地を巡り,感性を磨いて庭園を作庭し,代表作が西芳寺であり,その西芳寺をモデルに藤原氏一族が金閣寺,銀閣寺を作っている。これらはテラス式庭園と言え,下のテラスではさまざまな建物群がかつて設置されアクセスが容易である一方,上のテラスは昔の岩肌を残した枯山水となって,下のテラスは浄土(天国)を上のテラスは地獄を表している。修学院離宮はテラス式として完成度が高く,高さ15mのダムを築き,池を設けて水のテラスを設置している。イタリアのフィレンツェでは城壁に囲まれた市街地は二方向を山に囲まれた凹地形で,山には多数のヴィラが建設されている。特にメディチ家のヴィラでは大聖堂のドウムが見通せて,テラス式の庭園の原点といえる。京都とイタリアで世界遺産の共通する地形鑑賞法ともなる。④仁和寺はテラス式の伽藍といえるが,三つのテラスから形成されている。⑤宇治川をはさんで宇治平等院,宇治上神社,宇治神社があるが,宇治上神社は斜面に拝殿があり,スロープが活かされた建築となっている。宇治平等院は現在では宇治川に見事な防潮堤ができあがっているが,何度となく洪水に見舞われたことから鳳凰堂の高床式になったと考えられる。また,桂離宮では洪水対応として桂川に面して「桂垣」を形成しており,逃げる時を稼ぐ工夫がなされている。
奈良では地形の魅力を象徴する三条大路が春日大社に向けて東側に外京を形成し,藤原不比等が見事に地形を読んでの氏社の造営と考えられる。京都では5つのバリエーションが見られ,奈良は春日大社の春日山を中心とするシンプルな構成となっている。さらに紀伊の霊場は,その中心は熊野大社(本宮)で那智大社,速玉大社(新宮)とは二等辺三角形を大きく形成している。これらを熊野三山と呼び、熊野大社(本宮)はもともと熊野川の中にあったが,洪水で流されて山の上に移転した。三山は,川(本宮),岩(新宮),滝(那智)の立地で,いずれも神が宿る原始の地形がそのままに象徴化された霊場であった。さらに,近世の日光東照宮は凸地形,奥山の大猷院は凹地形に収まっている。5つのカテゴリーは各時代の中で応用が可能で,時代を遡るとシンプルな地形利用となっていく。
「地形の活かし方」として,1970年代に丘陵地に大学キャンパスが多数つくられた。校舎群を凸凹地形のどこに置くか,大規模なグランドをどこに配置するか,簡単に言えば平らに造成してしまえばよいのだが,山容を一変させないよう凸凹地形単位をいかに活用するかを考えた。東京薬科大学の造成計画では2つの凸とこれにはさまれた凹のコンビネーションとした。凸凹地形に機能を割り付け,自然地形を活かしての設計となる。静岡県立大学では15mの高低差を活かし,宇治上神社の配置のように三段のテラスに3つの学部を配置した。全体としては斜面にスロープを形成し中央の広場で人と車の共存を図り,さらに車イス対応も可能となった。
境内におけるユニバーサルデザインの視点から、建築物への車イスによるアプローチは基壇部の高さをどのようにクリアするかが課題となる。木造の仮設スロープなどがこれまで使用されてきたが,デザインを考えると,キーワードは透明性(消える,透ける)で,すでにいくつかの美術館で設置され始めている。
「地形の直し方」として,地形を読み,復興に向けての提案を具体的な成果として示したい。まず,木造社殿の厳島神社が800年間にわたって存続した理由を1990年代に明らかにしたことからお話ししたい。ひとつは外力、土石流をかわすために新たな河口を設けたこと,もうひとつは本殿と拝殿を囲んで回廊があるが,これを壊れやすくすることでエネルギーを吸収し,本殿の崩壊を免れてきたと言える。
現在,国の復興の方針は津波のような自然の猛威を,高い防潮堤で「抑え込む」ことにあるが,われわれは津波を「かわす」ことを考えた。宮古市田老の復興計画の提案では現在の10mの防潮堤をそのままにして,新たに建設される15mの防潮堤の上にスカイウエイをつくり,どこからでも逃げられる防災ブリッジ,コリドールを提案している。さらに,浸水エリアは現状では住むことができないので,太陽光パネルを設置し,エネルギーの自給を提案した。これは田老で必要な電力量の1.5倍の電力を得ることができる。気仙沼は公募コンペティションであったが,佳作に選ばれた。一等案が撤回されて現在の動きは不明であるが,新聞報道によると私たちの提案が注目を集めたようである。気仙沼市も山に囲まれた風水の適地と見ることができるが,コンペで求められた6mの防潮堤を建築空間化し,これを新たな風水として、二重の風水空間を提案している。湾側には住居はつくらず,陸側に防潮堤と一体となった住宅や店舗を設けて賑わいを創り出すもので,防災のインフラと生活空間が一体化しているところが特徴となっている。千葉県旭市の提案では,自己完結的な環状のスカイウエイとそれに接続する学校や研究所などの高さのある建物を提案している。最後に,先般,佐野で講演を行った際に三山があることに気が付いたが,残念ながら肉眼では一体でとらえることができないので,ドローンを用いて三山を空中から眺める「佐野三山博物館」を提案した。
このように地形を読んでいくことで,日本人の歴史観,自然観にふさわしい現代の都市や建物を導き出していくことができる。

講演後3名から質問が寄せられ,伊澤先生は丁寧に答えられた。質問は尽きない様子であったが20時をもって終了し,伊澤先生には盛大な拍手がおくられた。

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